病と人間の物語

2024.01.09院長コラム


この物語はフィクションです。 

第四話・刻印(疾病→副腎褐色細胞腫)

―汝は鉄の棒で彼らを打ち、陶器を砕くように粉々にするだろう―

                                    詩篇 第2章第9節



1597年もすでに4分の1が過ぎ去っていた。4月に入ってから17回目の朝を迎えている。その日の大坂は晴れていた。まだ4月だというのに初夏のように暖かい。

あと4年ほどで16世紀が終わろうとしている。だが、西暦を知らない大多数の日本人は、そんなことにはお構いなしに日々の生活と格闘していた。

街のいたるところでせわしなく動き回る人々の有り様を、大坂城の黒い巨大な天守はいつもと変わることなくじっと見おろしている。


大坂は水の都である。まぶしい日射しを浴びながら多数の船が運河を行きかっていた。米俵や味噌樽、酒樽を運ぶ川船から火薬の入った木箱を山積みした物騒な小早(小型軍船)まで雑多な舟艇の群れが水面を慌ただしくうごめいているのが見える。

運河沿いの大通りは、多種多様な物売りと彼らから物品を購入しようとする客の群れでごった返していた。

その日の仕事を抜け目なく成功させようと足早に動き回る商売人たちと、少しでも安く買おうと意気込む客たちとのやりとり…。街のあちこちで庶民たちの真剣な駆け引きが繰り広げられている。

西岡(にしのおか)の竹商人から2本まとめて乙訓(おとくに)の竹を買おうとしている大店の丁稚の真横には、背負いかご一杯に旬の春野菜を詰め込んだ野菜売りが大声を張りあげている。

「野菜いらんかね~、野菜いらんかね~」

白い手ぬぐいを引っかけた頭の上に器用に桶を載せたアサリ売りの女がスタスタと歩いて行く。どこかのお屋敷のお女中がアサリ売りの女を呼び止めるが、桶の中に貝はほとんど残っていない。

アサリ売りのすぐ近くでは、女性と魚売りが口論している。

かむろ頭の女童一人を従えた唐輪髷の女性は、満開の桜の刺繍をあしらった色鮮やかな桃山小袖を着ている。女性が女童に抱かせていた愛玩犬が急に地面に飛び降りて鮮魚の入った木桶の脇で排尿したのである。犬は今でいう狆に似た姿をしている。

怒る魚売りの男に、小粋な唐輪髷の女性は、魚を全部買い取るから文句はなかろうと言い返していた。

魚売りと女性の数メートル先を大柄な侍4名が横一列に並んで声高に談笑しながら闊歩している。全員が3メートルほどの素槍を担いでいた。訛りから察すると西国筋、それも九州の大名に仕える家来衆らしかった。

遠くから威勢のいい掛け声が聴こえてくる。

「エイホウ 、エイホウ」

どこかで普請でもしているのであろう。太い角材を担いだ上半身裸の日雇い人足3名が通りを走っていく。全員が隆起した筋肉質の浅黒い肌に刺青を彫っていた。滝を登る鯉、牙を剥きだす般若、睨みあう大鷲と虎…。

揺れ動きながら進む色彩豊かな絵画の群れはあっというまに通り過ぎて行った。茶店の主人らしき老翁が名残惜しそうに去っていく鯉や般若を見送っている。

大坂の街は今日も生きていた。


太陽が高く昇るにつれて大通りはますます賑わいを増してきた。

雑多な人々の群れのなかに、大坂城を目指す一団の姿があった。2名の騎乗者と御徒(おかち)15名からなる集団である。従者のなかには槍持ち4名、挟み箱持ち2名、馬の口取り1名、草履取り1名がいる。残りは3名の若党と4名の供侍である。

先頭の葦毛に乗る侍は長身で肩幅が広く引き締まった筋肉質だった。髭を剃っている。背は180cm近くあろうか。朱鞘の大太刀を腰から吊り下げ、長めの打ち刀を差していた。紺麻地の直垂には「結び四つ目菱」が見える。相当、身分が高い武士のようである。

武士は馬上で侍烏帽子を後ろにずらすと、大太刀の鍔についている笄(こうがいひつ)から左手で器用に(こうがい)を抜き取って頭頂部を掻き始めた。笄は髪がかゆいときに使う細長い道具で先端は耳かきになっている。茶筌髷にしていて月代は剃っていない。豊かな髪を後頭部でまとめて赤紫の平打紐で高々と巻き上げている。馬上の侍は、存分に頭皮を掻き終えると笄を櫃に納めて烏帽子の位置を整えた。

続く2頭目の栗毛に乗っているのは若い南蛮人らしかった。黒い山高帽子と白いラッフル襟が目を引く。黒いケープを着て、紅いカルサン(南蛮人が用いる丸く膨らんだズボン)をはいている。こちらには馬の口取りがついていた。

南蛮人が黒い帽子を手に取って額の汗をぬぐった。黒髪を側頭部から後頭部まで刈り上げてオールバックにしている。化粧していた。鮮やかな紅い唇が見える。そして多量のおしろいを塗っているせいかひどく色が白かった。この人物は男装した女性のようだった。

騎乗2名、徒歩の従者15名の群れは人々が無作為に行きかう雑踏をゆっくりと進んでいく。


一行はやがて運河をまたぐ大きな橋のたもとに出た。そこに泣いている若い女がいた。橋の入り口付近の欄干の下である。女は路上に座り込んでいた。

痩せた若い女は尻をつき膝を立てて座っている。下げ髪で裾が短めの萌黄色の小袖を着ていた。小袖はところどころ裂け目ができていて汚れている。女は顔を両手でおおって泣いているのだった。

5歳くらいの女の子が女の右肩にしがみついている。女の子の身に着けている淡い緑色の麻の服もところどころ泥が付着していて汚れていた。

この二人は野宿していたらしい。

橋の四隅を飾る青銅製の擬宝珠(ぎぼし)の一つには観音像が彫られている。その観音像のちょうど真下に女と幼女はいた。

大勢の人々が忙しそうに橋を往来しているが、誰一人として路傍の女と幼女に気をとめる者はいない。


一行がちょうど橋の真ん中まで進んだときだった。何を思ったのか男装の南蛮人が急に下馬して女と幼女のところへ引き返していった。葦毛の馬に騎乗していた武士は馬首の向きを変えて南蛮人の女性のあとを追う。供の者たちも急いで主人に従った。

「イネス殿、何をなさるおつもりか?」

馬上の武士が呼びかけた。

二郎左(じろうざ)様、しばしお待ちください」

イネスと呼ばれた南蛮人は泣いている女の前にしゃがんだ。人の気配を感じた女は恐る恐る顔をあげた。そして、泣くのを止めてイネスの顔を見た。女の子はますます強く女に抱きついていた。

イネスという名の南蛮人はズボンの脇ポケットから白い紙包を取り出すと女の子の目の前へ差し出した。そして、流暢な日本語で目を見開いて固まっている女の子に話しかけた。

「ねえ、これを食べてみない?美味しいよ」

紙包の中には白い粒上の菓子が20個ほど入っている。南蛮菓子のコンフェイトス(金平糖)だった。女の子は手に取ろうとしない。イネスは一粒つまむと自分の口に入れた。そして、ぱちぱちと瞬きしながら言った。

「えぇっ!なんて甘いの。とっても美味しいよ!」


イネスが食べるのを見た女の子は用心深く手を伸ばすと一粒つまんで口に入れた。そしてニッコリと笑った。イネスは紙包ごとすべての金平糖を女の子に渡すと母親だと思われる女に視線を移して問いかけた。

「あなたは、なぜ、うずくまって泣いていたのですか?」

下げ髪の女はボソボソと語り始めた。


女は12歳のときから大坂近郊の豪農の家で住む込みで働いていたという。実家が貧しいため父親が娘を永代奉公に送り出したのだ。

母親は労咳(結核)で死んでおり、酒浸りでまともに働ない父親は、女を含む3人の子供たちを全員、人買いに売ってしまったのだという。

女は美しかった。そして、その家の跡取り息子と深い仲になった女は身ごもった。女が15歳のときである。やがて女の子が生まれた。イネスが金平糖を与えた5歳の幼女である。

主夫妻は激怒したが母娘を追い出さなかった。家に置いてくれた。あくまでも使用人とその子供という扱いではあったが…。家族の一員として受け入れてもらえなくても母と娘は少なくとも衣食住に困ることはなかった。しかし半年前にすべてが変わった。

跡取り息子が正式に結婚したのである。

嫁は堺でも指折りの貿易商の娘だった。豪農は少なからぬ金を倅の嫁の実家から借りていたのである。豪農の屋敷にやって来た嫁は母と娘の存在を知ると強い拒絶反応を示した。

「あの母と娘とは一緒に住めません。母と娘を追い出さないのなら実家へ戻ります」

嫁の激しい語気には強い意志が感じられた。

「顔をみればわかります。どうせ性悪女でしょう。子供だって父親が誰なのか知れたものではありませんよ」

豪農の主夫婦も跡取り息子も、新しくやって来た嫁には頭が上がらなかった。母親に幾ばくかの金を与えて2人を出て行かせたのである。

途方にくれた女は幼い娘を連れて酒浸りの父が住む里へと向かった。仕方がなかった…。里に戻ってみると父親はすでに死んでいた。2年前の雪の日の晩に大酒を飲んだあとで血を吐いて死んだのだという。顔見知りの近所の老婆が教えてくれた。

人買いに売られた兄と弟の行方はわからない。

天涯孤独の女は奉公先を追放されてからひどく咳き込むようになった。労咳を発症したのかどうかは定かではないが世間の人間たちは病気持ちだと決めつけた。どこも雇ってはくれなかった。

豪農からもらったわずかな金も底をついた。女は体を売って幼い娘を養うほかなかったが、どうしてもそれだけは嫌だった。

「いっそのこと、この子と一緒に死のう。そう思いました。でも、いざとなるとできなかった…。途方にくれてこの橋のたもとで泣いていたんです」

女は懐から一振りの小刀を取り出すと足先の地面に置いた。


馬上で女の話を聞いていた武士は大きなあくびをした。イネスは両目を閉じてしばらく押し黙っている。目を開けたイネスが馬上の武士に言った。

「二郎左様。金貨を3枚、貸していただけませぬか?今、私には持ち合わせがないのです。あとで必ずお返しします」

イネスの言う金貨とは甲州金のことを指している。甲州金は武田信玄が鋳造させた純度の高い金貨である。武田領内で使われた。武田氏は上方(京坂地方)の大商人との取引のさいにも甲州金を支払いに使用している。甲州金は武田氏滅亡後、徳川氏へと引き継がれ江戸期にも流通した。

二郎左と呼ばれる身分が高そうな武士は質の高い金貨を好み、甲州金を集めているようだった。

「イネス殿。お主は、この大坂の街で1年間にどれほどの人間が路上で死ぬかご存じか。病死、餓死など窮死する者たちの数は年ごとに増すばかりじゃ」

イネスは無言で武士を見ている。武士はもう一度あくびをしてから忠告した。

「かような者どもを、いちいち救っていたのではきりがない。破産しますぞ」

「私はどうしても助けてあげたいのです」

「貸してもよいが、利息がつく。それでもよろしいか」

「構いません」

「一分金(いちぶきん)3枚の3分でいいですな?」

「3両でおねがいします」

甲州金4分で1両となる。3両だと12分だ。

「やれやれ、酔狂なお方だ」

二郎左と呼ばれた武士は大儀そうに両手を3回叩いた。

「イネス殿に一両金貨3枚を貸して差し上げろ」

一両金貨とは甲州金の金貨の中でも最も高額なものである。

白髪まじりの痩せた挟み箱持ちがイネスへ甲州金の一両金貨3枚を手渡した。いびつな楕円形をしている。イネスは3枚の金貨をそっと女の手に握らせた。

「これでしばらくは持ちこたえられるでしょう」

下げ髪の女は金貨を受け取ると、イネスに向かって土下座した。顔を伏せたまま女は礼を言う。

「慈悲深い南蛮のお方、ありがとうございます。あなた様は、ほんに日本語がお上手ですね」

「私はイネス・ペドロサといいます。正直に言います。私は純粋な南蛮人ではありません。母親は日本人奴隷。父親はイスパニア人です。マニラの奴隷市場で父親が母を買い取りました。母が幼い私に日本語を教えてくれたのです。日本語の読み書きはできませんが会話は大丈夫です。父親の正妻が初産で死児を出産しそのあとで死にました。父親が再婚することはなく奴隷が産んだ私が唯一の子供となったのです。死が迫っていることを悟った病床の父親は遺産を私に相続させました。実は、私が育ったのはインカの隠れ里です。だから、私は自分をインカ人だと思っています」

「インカ人?」

「それより、何か困ったことがあったら私を訪ねて来てください。できる限り力になります。私は加納寺(かのうじ)二郎左衛門(じろうざえもん)七秀(ななひで)様の大坂屋敷に寄宿しています。ここにおられる馬上のお侍様が加納寺二郎左衛門七秀様です。二郎左様は五万三千石のお大名です」

イネスは加納寺七秀に頭を下げた。

「二郎左様、一筆お願い申し上げます」

七秀の眉間にしわが浮かび上がった。

「イネス殿。その母と娘になぜ、そこまで肩入れする?」

イネスは視線をそらすことなく七秀の目を見返している。

「この母と娘は、遥か昔の私と母そのものだからです。私と母もぼろ布のようになってリマの街をあてもなくさ迷っていました…」

「まったく困ったお人だ」

七秀はため息をつくと再び手を大きく3回叩いた。

「矢立を持ってまいれ」

今度は小太りの若い挟み箱持ちが走って来て七秀に矢立を差し出す。馬上の七秀は懐から懐紙を取り出すと、さらさらと一筆したためた。

「この書付を門番に見せれば、この浮浪の母と娘は追い払われることなく、わが屋敷の門を堂々とくぐることができるであろう」

七秀は書付をイネスに手渡した。

「ありがとうございます」

イネスは受け取った書付を丁寧に二つ折りにするとキョトンとしている幼い少女の手に握らせた。

「何か大変なことが起きたらね、この書付をもってお母さんと一緒に二郎左様のお屋敷にお姉ちゃんを訪ねて来るのよ。門番のおじさんに、イネス・ペドロサに会いに来たと言うのよ。この書付は大切なものだからね…。なくしちゃダメよ。いいわね」

少女は大きくうなずいた。母親は相変わらず土下座している。

馬上の七秀が言った。

「登城の刻限が迫っておる。イネス殿、お急ぎ召されよ。今日は太閤殿下との一世一代の対面の日であろう。お主の正義と復讐の企てが成就するかどうかの運命の日じゃ。ともかく急がれよ」

イネスは再び馬上の人となった。加納寺七秀とイネス、そして従者15名の一団は大坂城に向かって雑踏のなかに消えて行った。

橋のたもとの母と娘は立ち上がった。母親はイネスたちの姿が見えなくなっても、一行が進んでいった方角をずっと拝んでいた。


そう、今日である。

1597年4月17日の今日、イネスは加納寺二郎左衛門七秀の取次で太閤秀吉に拝謁することになっている。正義と復讐を実現するために…。

路上の喧噪が増してきた。

繁栄をきわめる大坂の街は、運河にかかる橋のたもとで起きた、ささやかな邂逅などにはまったく無関心な様子だった。